日本のローラースケートの歴史


1877年:日本にローラースケートが初めて紹介される。

1903年:日本体育会がスポーツとして導入する。

1910年:浅草ルナパークのローラースケート場が開業。

1913年:子供達の間でローラースケートが大流行し、これをきっかけに広く一般にも広まり、      第二次世界大戦まで全国で次々とローラースケート場が誕生。

1953年(昭和28年)11月に第1回全日本スピード・フィギュア選手権大会が岐阜県大垣市で行われる

1960年(昭和35年)に第1回全日本ローラーホッケー選手権大会が岐阜県大垣市で開催されている。

 1968年(昭和43年)からテレビで「ローラーゲーム」が放映されると、子供達の間で一躍ブームとなり、靴の上から装着する安価なローラースケートが広まった。

1975年(昭和50年)12月24日にスケーターを対象としたディスコ「那覇ローラースケートランド」が沖縄に開店。米軍基地に隣接していたこともあって外国人の利用も多く、音楽と照明に合わせて滑る楽しさから、「ローラーディスコ」として各地に飛び火した。新宿「ツバキハウス」で日本で初めてのプロ・ローラーディスコチーム「ピンクローラーズ」が結成された。

1970年代後期アイススケートの夏場の練習用としてインラインスケートが現れた。通年営業の屋内アイススケートリンクが登場した事もあってすぐには広まらなかったが、1989年頃からスピードが要求されるホッケーやスピード競技にインラインスケートが取り入れられ、利用者が広がった。

2000年代にはローラーシューズの一種「ヒーリーズ」が登場し、子供達の間で流行した。

ローラースケートネットワーク(ローラースポーツネットワーク)

ローラースケート大好きの管理人がローラースケート(インラインスケートを含む)を中心に情報を発信します 1972年にローラーゲームの東京ボンバーズ初代キャプテンのタイガー森氏との運命的な出会いでローラースケートの世界に飛び込みました。 #ローラースケート #ローラーダービー #インラインスケート #折笠吉美 #監督 #折笠 吉美 #コーチ #有名人 #選手